私の宝物(重たい話)

お題「わたしの宝物」

 

あまりものに執着がないというか、そこらへんに置いてしまう雑な私。

 

宝物って何だろう?と大人になってちゃんと考えてみました。

 

自分の中で大事にしていたのは漫画や映画のパンフレット、DVD、昔行ったV系のライブタオルや雑誌。あとはアンティークのもの。

そんなものが浮かんできましたが、考えてみたら特に値段はしていないし、20歳までに収集したものばかりのような・・・。そんなものたちは今も無事に私の元にあるかというと・・・・。

 

兄弟に売られたり、再婚した親(実親)が処分してしまったんですよね。

自分のものがなくなっていくとですね、初めは怒りとか悲しみとか湧いてくるんですけど。何度もそんなことになっていくと、「ああ、これも忘れたころにはいないのかな」と思ったり。逆に見つからなかったのか、大した値段がつかなかったのか、残っているものを見つけると「おおー!無事だったのか」と話しかけてしまいます。

 

こういうことが繰り返されていき、月日を経ると少しずつドライになったのか 私自身がその物への気持ちが冷めてしまったんですよね。ああ・・・と数秒見つめて。

 

周りからしたら大事にしてなかったように見えたのか。自分の部屋の自分のスペースにあっても売られたりするんだもんなあ。毒親もそうだけど、兄弟が毒の場合は何て呼ぶんだろう・・・?

 

人は物とは違うんだけど、傷つけられてしまったと思ったら、もう興味が薄れてしまうんですよね。気持ちの悪い表現になってしまいますが貞操に近いのかも。

もう汚れちまったんだろうと。もういらないよと。でも切ないなと、手を触れないけれど目が離せません。触ってしまったらそれこそ損傷具合に血が上ってしまうだろうですしね。

 

私は本の帯は数ミリ上にズラして、テープで張って固定する。

テープの酸化?した黄色くなった跡がついちゃったら、可哀そうだから少し悩むんだけど。

そんなものでさえ売られちゃうんですよね。今じゃ何巻とまとめて売ろうたってジュースやお菓子くらいの値段にしかならない。めっちゃ馬鹿らしい。買うときは高い・・・ってなるけど、売るときには「え、こんな安くないだろ?」となるんですよね。

 

実家を出ている今、もう自分の領域を侵して来る者はいない。

もう物も汚されない。

知らず知らずのうちに居なくなった物たちが、ふと思い出されたとき確信はしていなくても「もう私のモノではないのだ」と諦めてしまう。なんか元恋人のような。笑

 

ふと、また宝物とはなんだろう?

と、再考するんですけど浮かばない。

 

小学校だったかな?タイムカプセルに宝物を入れるとか、作文なんかで自分の宝物を入れるイベントってあったじゃないですか。自分の宝物を発表するのが嫌いでしたね。なんで開示しないといけないの?宝物って周りに言わないといけないのか?と疑問符だらけでした。

今の自分が宝物についてきかれると、解答として正しいのかわからないけれど

宝物=呪い くらいに思っていて。

自分では歪んでいると嘆いてはいるんですけど。

 

今自分の中で宝物を指すなら、「捨てられないもの」ですね。

 

小学生の時に書いてもらった前略プロフィールです。

 

一人の女の子のものです。

 

その子は小学校からの友人で。20歳で自殺してしまったんですよね。

中学校は自転車通学だったので、その子の自転車がパンクしてしまったときとかいけないけど2ケツしてました。その時に通っていた橋の下の川で。

 

今でも色々できることはなかったのかなとか、あの当時自分の事で一杯になっていた自分を殴ってやりたいとおもうくらいで。でもそんなこと考えたって仕方ないし、その当時行動していたとしたって天使のようだったあの子は助かっただろうか。私の手を取ってくれただろうかと考えるんですね。 私自身が彼女と接する機会や連絡がなく、寂しさを感じていたまま失くしてしまったので、きっと私は今もさみしいし、きっと許してほしいんですよね。

 

彼女のことが載っている新聞の切り抜きは今でも持っています。

友人から譲ってもらいましたが、感謝しています。それが活躍だったらよかったんだけど、あまりにも寂しい話。

前略プロフィールを書いてもらったあの時、おもしろい人の欄に自分が書かれているのを見て今でも泣けたり、思い出して笑うことがあります。

 

もう一つは猫のひげ。

私の大好きな愛猫だった猫のひげです。

アビシニアンでアクが強かったので、ひげの根元になんか茶色いのがついていますが。笑

 

色んなおうちをたらい回しにされて、やっとうちに来た子。

過ごした年数はそんなに多くはなかったけれど、鳴かなくて臭くて、毛繕いをしてくれる彼女が大好きでした。

 

この二つのものは、実家を出てからどこに行っても持っていってますね。

しょっちゅう確認しているわけではないけど。

見るときに。見つけた時に。自分を見つけてほしいと思うのが私の宝物だと思うのです。